2017年10月09日

政治家以前に社会人としての資格は十分か

 民進党という鵺のような政党が、あたかも集団自殺のように、満場一致で自ら滅び去りました。希望の党は、とても大きな役割を果たしたことになります。
 あいかわらず愚かなマスコミは、「排除の論理」云々を言い立てて党首を攻撃しているようです。が、一つの政党を作るに当たって、よくよく人を選ぶのは当たり前の話ではありませんか。(ただし今夏の都議会議員選挙の際も、もっと人を選ぶべきでした。そのことは強く言っておかなければなりません。)
 自民党も、本当はもっと人を選ばなければならないのです。こう言っては失礼ですが、変なのがいっぱい混ざり込んでいる。
 およそ人格を疑わせるような失言を連発しながら、いまだに有権者に一言も詫びていない、政治家以前に社会人としての資格を欠く者さえいます。
 なんでこんな者が何期も国会議員をやってきたのか不思議ですが、要は他に選択肢がなかったのです。今回は、それがあります。

 連日ミサイルが飛んでくるというのに、この期に及んでなお「平和憲法を守れ」など言う、戦後教育にどっぷりと浸かった戦後世代の馬鹿さ加減を、若い世代はよく見抜いています。
 憲法は、断じて、改正しなければなりません。
 否、敗戦に際して他国から押し付けられた現行憲法は、「改正」ではなく「破棄」して、ゼロから自主憲法を制定することが、日本人としての本来の務めです。しかし、一足飛びにそこに行くことは簡単ではありません。すでに70年余り、虚妄の憲法のもとで虚妄の国に暮らしてきた、戦後日本人の虚妄な歴史が存在することは、残念ながら否定できない事実です。
 しかし、真剣にやろうとすれば、やれるのです。かつて日本には、吉野の朝廷と京都の朝廷、皇室が二つに分かれた時代がありました。しかし、それらは最終的には合体し、吉野の朝廷が正しかったのだという結論にたどり着きました。
 同じ思考操作を、私達自身が行えばよいのです。混乱を極めた私達国民の歴史認識を、この際、自ら整理するということです。二つに分かれた皇室のいずれが正しいか、という大問題さえ解決できたのです。まして憲法について、それができないはずはありません。
 しかし、「現行憲法破棄」「自主憲法制定」と言っても、頭の固い戦後世代は、なかなかついてこられません。何しろ、今まで自分達が生きてきた国家観がまるごと否定されてしまうわけですから、怖いのです。
 そこで、そういう大人達にも配慮して、遠回りですが、まずは憲法を改正して「応急処置」を施し、やがて自主憲法制定という「大手術」の機が熟するのを待つより他ありません。

 憲法改正を明言する政党が複数出現したということは、選択肢が増えたということです。
 有権者はよくよく、人を見て判断すれば良いのです。
 人を見て、人を見て、それでもなお、選挙区によっては、いずれの候補者に票を投ずべきか、悩ましい場合もあるでしょう。その際、有効な判断基準は、政治家以前にそもそも社会人としての資格は十分か否か、です。

posted by 田中ゆうたろう at 12:00| Comment(2) | 日記